1: 衛星軌道中立帯@はやぶさφ ★ : 2013/11/26(火) 20:18:57.52 ID:???

ちょうど封切りの初日に間に合ったのは幸いでした。短い一時帰国の最後の晩、新宿のシネコンで観賞後に羽田発の深夜便で西海岸乗り
継ぎで戻ってくるというのは強行軍に聞こえますが、その間、映画の余韻がずっと続いていたことで疲労も感じなかったぐらいです。
傑作だと思います。いや大傑作でしょう。これはアニメーションというカテゴリに全く新しい次元を開いただけでなく、原作の『竹取物語』が
千年を越える生命を保っているように、この作品も長い時間を越えて残っていく価値がある、それぐらいの作品と思います。何よりも、
日本画や水墨画を思わせる「開かれた、そして動的なエネルギーのある線」の表現が、動画になることで、ここまでの表現力を獲得したということが
画期的です。アニメは、ここに至って「輪郭線と塗りつぶし」という文法から解き放たれたのですが、そのことの意味がこれほどまでに説得力を持つ
というのは驚愕でした。日本画の影響ということでは、横山大観の『無我』であるとか、川合玉堂の『彩雨』(および最晩年のタッチ)といった作品
からの影響も感じますし、また日本の「マンガ」のルーツの一つとも言われる『鳥獣戯画』の描写法もふまえているように思います。ですが、それを
動画にするということでこれだけの表現力が出せたということは全くのオリジナルだと思います。
まず輪郭線が「閉じない」ことで、「対象の存在感」が輪郭を越えて広がってゆくというダイナミズムが生まれています。
彩色が輪郭線に拘束されないことで「にじみ」を通じた彩度と明度の連続的な変化から「淡さ、浅さ、若さ」といった「美」が表現できるなど、
一見すると日本画や水墨画にインスパイアされたものに見えた表現が、動画として動かすことで、全く次元の異なる表現力を獲得しているのです。
それが「明暗、寒暖、喜怒哀楽」といった感覚と感性の表現になっている、これは奇跡としか言いようがありません。
タケノコの生長、梅の開花、キリギリスの跳躍、降雪、降雨、紅葉、そしてあの素晴らしい丘の上の満開の桜に至るまで、日本文化の中核にある
自然観がここまで美しく表現され、しかもその表現が完全にオリジナルだというのは大変なことです。更にその自然の表現が動的であることが、
生命の感覚を生き生きと伝えている、そのことが主人公の成長と成長に伴う葛藤、そして主人公の宿命といった問題と完全にシンクロしているのです。
主人公と言えば、その「かぐや姫」の「美しさ」ということも特筆に値します。これも「輪郭線と塗りつぶし」からの解放ということが大きいのだと思います。
というのは日本の女性像としては異例なまでに「強い目」を表現していながら、その「目線が柔和」なのです。この「柔和にして鋭敏」な「目力(めぢから)」
が美しさの秘密で、これもまた、アニメ表現をアートのレベルにまで昇華させていると言って良いでしょう。
ストーリーに関しては、原作の『竹取物語』に極めて忠実な一方で、自然に囲まれた生活と都会の生活の対比という追加されたモチーフには『アルプスの少女ハイジ』
との共通点を強く感じます。ですが、そもそも高畑勲監督が若き日に参加した日本のアニメ版『ハイジ』には、日本的な自然観が色濃かったわけで、この点にも違和感は
ありませんでした。というよりも、キャラクターの成長とストーリーを立体的にするための「追加」としては全く問題なく原作のストーリーと一体化していると思います。
声優陣も皆さん素晴らしく、特に地井武男さんの演技は超絶的としか言いようのないものでした。既に他界されている地井さんですが、その演技がこのような形で永遠に
残るというのは、役者さんという仕事ならではの特権でしょうが、それにしても見事でした。
では、この『かぐや姫の物語10+ 件』は完璧な作品なのでしょうか? そうではないと思います。二つの点について、あえて苦言を呈したいと思います。

>>2に続く

ソース・ニューズウィーク日本版
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/11/post-606.php

【世紀の大傑作『かぐや姫の物語』にあえて苦言を一言】の続きを読む